大倉邦彦先生とドクター・ディマティーニの共通点

こんにちは、飛田貴生です。

今週は、実業家で、教育者・思想家の「大倉邦彦」(おおくら・くにひこ)の、思想と精神について、私見たっぷりにお話したいと思います。

大倉山記念館

私は、2008年から、横浜市の、「大倉山記念館」という場所で、ディマティーニ・メソッドのセミナーを開いています。

メソッドを教える資格を取って、セミナーをやり始めた頃に、仲間のファシリテーターの一人がこの場所を私に、教えてくれました。

仲間の話によると、『アルケミスト 夢を旅した少年』や『ザ・シークレット』など、スピリチュアルな本の翻訳を多数、手がけている
翻訳家の山川紘矢・亜希子ご夫妻が、大倉山記念館で、よくお話会やセミナーを開いているといいます。

「大倉山記念館」は、大倉山という、自然豊かな小高い丘の上に建っています。

ギリシャ神殿のような西洋的な外観と、東洋的なデザインの内装を併せ持つ、歴史的な建物です。

私は、この場所で、日本初となる、ディマティーニ・メソッドのグループセミナーを仲間と一緒に、開きました。

そのとき、一目でこの場所が気に入ってしまったんです。

格調が高く、厳かな建物の雰囲気と、大きなヒマラヤスギや、ケヤキ、マツなどの樹木に囲まれた自然豊かな環境が、セミナーの開催場所として、ピッタリだったんです。

記念館がすっかり、気に入った私は、結婚を機に大倉山に引っ越してきました。

自宅は、記念館から、歩いて約7分の場所です。

それ以来、記念館の集会室を、まるで自分専用のセミナールームみたいに使ってきました。

2008年からの14年間に、この場所で、100回近く、ディマティーニ・メソッドのセミナーを開いたんです。

だから、私にとって、大倉山記念館は、「日本のディマティーニ・メソッドの聖地」なんです。

コロナ禍で、しばらく記念館でのセミナーは休止していますが、落ち着いたら、再開しようと思っています。

ヴォルテックス

オーラやエネルギーが見える私の友人によると大倉山は、「ヴォルテックス」と呼ばれる、パワースポットだそうです。

英語で「vortex」という言葉は「渦」(うず)を意味しますが、スピリチュアル的な解釈では「高次のエネルギー(周波数、バイブレーション)が渦を巻く場所」という意味です。

「ヴォルテックス」には、2種類あるそうです。

一つは、大地から、天に向けて、高次のエネルギーが渦を巻いて放出される、ヴォルテックス。

こちらは、男性性のエネルギーです。

もう一つは、天からの、高次のエネルギーが渦を巻きながら、大地へ吸い込まれる、ヴォルテックス。

こちらは、女性性のエネルギーです。

大倉山は、前者の、男性性の、ヴォルテックスであると、いいます。

私は、記念館の建物には、ヴォルテックスのエネルギーを、増幅させたり大地のエネルギーのバランスを取る役割があるのではないか、と思っているんです。

つまり、大倉山記念館は、エネルギーセンター(パワースポット)の上に建てられた、建造物であるということ。

建物のエントランス部分は「心の間」と呼ばれ、吹き抜けの構造をしています。

天井に近い窓には、ステンドガラスがはめられ、光の通り道がつくられています。

窓のすぐ下には、「獅子」と「鷲」の像が、エントランスをぐるっと、取り囲むように配置されています。

この像は、「テラコッタ」と呼ばれる土を素焼きしたもので、獅子8体、鷲8体の、計16体あります。

すべての像が、違う方向を向いていて、下から見上げると、どれかの像と必ず、目が合うようになっています。

まるで、神聖なものを、守護しているかのようです。

建物の創設者は、この場所がヴォルテックスであることを、知っていて、意図的に、高次のエネルギーの通り道をつくり、守護者を配置したのかもしれません。

大倉邦彦と精神文化研究所

「大倉山記念館」はかつては、日本と東洋の思想、哲学を研究する「大倉精神文化研究所」という、施設でした。

創設者は、実業家で、東洋大学の学長も務めた教育者・思想家の「大倉邦彦氏」(1882年〜 1971年)です。

大倉先生の、人生の目的・使命は、

=============================
教育の力によって、心が豊かな人、
人生の目的・使命を見つけ、
それを行動に移せる人を、育てること
=============================

でした。

そうした、大倉先生の人生の目的(最高価値観=テロス)は、若い頃の喪失の体験から来ています。

義父、幼い二人の息子、母親と、あいついで「死別」。

息子の死で、夫婦仲がうまくいかなくなり「離婚」。

「関東大震災」による火災で、経営する会社の社屋と倉庫を焼失。

大倉先生は、深い喪失の悲しみを、経験したことで、「心を強くしたい」と願い、座禅の修行によって、自分の内側と深く向き合い内省するようになりました。

「お金や物も、大切だが、人生には、他にもっと大切なものがあるのではないか?」

「自分と同じように、悩み苦しんでいる人が世の中に大勢いるはずだ」

「世の中を良くするにはどうしたらいいのか?」

「今、私に、できることは何か?」

その答えをを見つけるために、本を読み、学ぶことの大切さを痛感し、日本と東洋の思想・哲学を、深く研究するようになっていきます。

やがて、そうした想いが、「日本の人々の心が豊かになるための、教育を提供する」という、大倉先生の、人生の目的・使命へと、昇華していったのです。

大倉先生は、

「ひとり一人が心について学び、自分の心と向き合うことが必要だ」

と考え、日本や東洋の思想・哲学、宗教についての、本を集めた「図書館」をつくることを、思いつきます。

当時、本は、とても高価なもので、誰もが気軽に買えるものではありませんでした。

また、図書館も、数が少なく、限られた人しか本を読むことができなかったのです。

けれど、大倉先生は、

「本を読んで知識を深めるだけでは世の中は変わらない」

とも、考えていました。

だから、学んだことを、実践する場所も、作りたいと考えたのです。

また、当時の教育者たちはお金儲けが優先で、教育の本来の目的を見失っていることも、問題視していました。

そこで、「図書館の建設」と、学んだことを実践し、教育者を育てる「研究所の設立」を実現したいと考えたのです。

1929年(昭和4年)にインドの詩人、思想家でアジア人初のノーベル文学賞を受賞した

タゴールが来日した際には、目黒の自宅に、一ヶ月間滞在させました。

その時に、図書館と研究所の構想について話しタゴールからアドバイスをもらったのです。

大倉先生はその後、東急電鉄、創業者の、五島慶太から、東急東横線「太尾駅」近くにある、小高い丘の土地、約1万坪を購入します。

そして、この地に、私財を投じて、「大倉精神文化研究所」と「附属図書館」を、建設したのです。

図書館には、タゴールから贈られた、著書も展示されました。

のちに、研究所のある小高い丘は、大倉先生の研究所がある山であることから、「大倉山」と呼ばれるようになりました。

その後、東急東横線の駅名も、「大倉山」に、改称されることになります。

大倉先生は、”清らかで強い心と、豊かな知性を兼ね備えた人材”を育成するために、大倉山の地で、研修や、出版、図書館の公開など、
様々な教育活動を、行いました。

中でも、力を入れていたのは、「修養会」と呼ばれる、子供や学生向けの、合宿セミナーです。

子供たちを、大倉山の研究所に宿泊させ、朝4時半の起床から、午後9時の就寝まで、大倉先生の講義や、坐禅、清掃を行いました。

子供たちが、自分の内面と深く向き合い、魂と、心身を鍛える場をつくったのです。

大倉先生は、子供たちと、寝食を共にすることで人として生きる上で、大切なことを、身をもって教えました。

修養会は、すぐに、評判となり、「大倉山学生修養会」として、定期的に開催されるようになりました。

その後、学校の先生や、企業向けにも、修養会が行われるようになり、この活動は、終戦間際まで、続いたのです。

宇宙心

大倉邦彦先生の教えの中心には、「宇宙心」(うちゅうしん)という考え方があります。

大倉先生は、それを、

宇宙心、万有古今に通ず

という言葉で表しました。

この宇宙には、目には見えないけれど、すべての生命を生かし、万物を司っている、大いなる知性が存在して、その働きは、はるか遠い昔から、途切れることなく、永遠に続いていく、という意味です。

「神」や「法則」、「エネルギー」とも言い換えることができる、その知性を、大倉先生は、「宇宙心」と、呼んでいました。

そして、私たちひとり一人に、「宇宙心」から与えられた、ライフワーク(人生の目的、使命、テロス)があって、それに沿った生き方をすれば、自分が本来持っている無限の力を発揮して充実した素晴らしい人生を生きることができると、教えていたのです。

地理曼荼羅

また、大倉先生は、

「ひとりの人生が変われば、日本が変わり、世界が変わる。

個人と、日本と、世界は、三位一体(一つのものが三つのカタチで現れたもの)である。」

と、考えていました。

そして、その思想を、「地理曼荼羅」(まんだら)として、表現しました。

「大倉精神文化研究所」の建物の中心部分は、「心」を表し、左右の部分は、「知性」を表しています。

そのように建物全体で「人間」を表しました。

(建物の中心部分は、「心の間」、左右は、「知性の間」と呼ばれる)

建物の正面にある庭には、「日本地図」のカタチに石を囲んで、その内側に芝と、樹木を植えました。

そうやって、「建物を人間」、「庭を日本」、「大倉山を世界」に見立てた、地理曼荼羅をつくったのです。

ちなみに、「曼荼羅」とは、「悟り」や「宇宙の真理」を表すために、「仏」や「菩薩」(ぼさつ)、「幾何学的なデザインやパターン」を、円を描くように配列して、図にしたものです。

「地理曼荼羅」は、大倉先生の、

「ひとりの人の心を豊かにする教育を行うことは日本全体を良くすることにつながり、ひいては、世界全体が良くなることにつながる。」

という、思想を、「形霊」(かただま=形に宿る、精神や想い)にしたものなのでしょう。

こうして、大倉先生はさまざまな活動を通じて日本の文化を高め、世界の文化に貢献する人を育てる教育に、全人生を捧げたのです。

神の秩序

私の先生で、人間行動学の世界的権威の、Dr.ジョン・ディマティーニは、

「この宇宙には目には見えない隠された知性である「神の秩序」(Divine order)が存在していて、ダイナミックに均衡を取ろうとする力である「愛」がいついかなるときも、私たちを包み込んでいる。」

と、教えています。

そして、
宇宙のすべてを司る隠された知性のことを、「壮大に計画するデザイナー」(Grand Organizing Designer=GOD=神)と、呼んでいるんです。

また、Dr.ディマティーニは、私たち、ひとり一人には、固有の「価値観」というものがあって、

いちばん大切な価値観(最高価値観)
2番目に大切な価値観
3番目
4番目
5番目



というように、価値観が階層のようになっていると、言っています。

そして、「最高価値観」こそが、その人にとっての人生の目的、使命、ライフワークであり、それをやっているときに、自分本来の才能や
天才性を、最大限に発揮して、充実した素晴らしい人生を生きられるようになるというのです。

一対多の法則

また、Dr.ディマティーニは、「一対多の法則」について、教えています。

私たちひとり一人は、深い部分では、一つに、つながっている。

この状態を、「ワンネス」(One-ness)と言います。

その、もともと一つの存在が、「あなた」と、「私」に、分離した。

この状態を、「メニーネス」(Many-ness)と言います。

私やあなたという「個人」(Individual)は無意識の深い部分では、一つにつながっている「分離してない」(In-dividual)存在なんです。

だから、あなたひとりの人生(One)が変われば、日本と世界(Many)が変わるということ。

そういうやり方で、個人は、全体に貢献することができるんです。

波動共鳴

大倉邦彦先生と、Dr.ディマティーニは、本質的には、まったく同じことを、言っている。

私が「大倉山記念館」(旧大倉精神文化研究所)で、2008年から、ディマティーニ・メソッドのセミナーを開催してきたのは、偶然では
なかったのでしょう。

目には、見えないけれど、今も、この場所に存在している、大倉先生の、思想と精神に、私の意識が、共鳴していたのでしょう。

午前10時から午後10時まで、ディマティーニ・メソッドに取り組んで、自分の内面と深く向き合う、グループセミナーを大倉山記念館で100回近く、やってきたのは、かつて大倉先生がこの地で開いていた「修養会」を、踏襲するもの、だったのです。

ディマティーニ・メソッドのセミナーは、たんに知識を得るためのものではありません。

自分の内面と向き合う、ワークを実践し、体験を通じて、「知識」を、日常で使える「知恵」に変えることが、目的です。

これは、「学んだことを、日常生活で実践することが大切である」という、大倉先生の教えと一致します。

先生は、これを「躬行」(きゅうこう)と呼んでいました。

「躬行」は、「みずから実行する」「実践する」という意味があります。

まさに、実践によって、体験的な理解を得ることが、ディマティーニ・メソッドの本質です。

また、私が、少人数のグループセミナーに、こだわるの理由は、「目の前のたった一人の人生が変わることは、全体が変わることにつながる」

と、信じているから。

これも、「ひとりの人生が変われば、日本が変わり、世界が変わる。」という大倉先生の教えと、一致しています。

今までずっと気がついていなかったけれど、私は、無意識のうちに、大倉先生の精神と思想に、共鳴し、大倉山の地に導かれていたのです。

人の心を豊かのする教育

現在、日本人の15〜40才の死亡原因の1位は、自殺です。

警察庁は昨年一年間の、全国の自殺者が2万1千人であると発表していますが死因不明で自殺にカウントされないケース
(不審死、変死体)も多く、実際の自殺者数は、もっと多いのではないかと言われています。

もし、発表どおりの数字だとしても、毎日、60人の日本人が自ら命を

絶っていることになり、この中には、うつ病やPTSD(心的外傷後ストレス障害)など心の病を持つ人たちも含まれています。

自殺者の9割が何かしらの精神疾患を持っていると話す精神科医もいる。

長引くコロナ禍や、ロシアのウクライナ侵攻の影響で、多くの人が、将来を見通せずに、悩みや苦しみを抱えている今の世の中は大倉先生が生きた「関東大震災」や「世界恐慌」、「太平洋戦争」の影響で混乱していた頃と、似ているのかもしれない。

そんな今だからこそ、人の心を、豊かにするための、思想や哲学といった教育が求められているのだと思うんです。

留魂碑

1971年(昭和46年)7月25日、大倉邦彦先生は、89歳で、その生涯を終えました。

けれど今も、大倉先生の魂、思想、精神は大倉山で生き続けている。

大倉山記念館本館の、地下9メートルの場所、大地からヴォルテックスのエネルギーが吹き出す場所に、大倉先生の、精神と、思想を記した、「留魂碑」(りゅうこんひ)が埋められているのです。

最後に、留魂碑に記された、碑文を、引用します。

一、人が人として宇宙人生の正法に安住せん事を念願す
一、人が国民として天孫中心の君国を永遠ならしめん事を念願す
一、人が業人として自他の存続発展を基調とせん事を念願す
一、一国思想の源泉は宗教と教育とにありと信じ是を建立す

皇紀二千五百九十年 大倉邦彦

最後までお読みいただきありがとうござます。

飛田貴生
(大倉山の自宅より)

引用、参考文献:
『マンガで学ぶ 大倉邦彦物語-社会のために尽くした実践躬行の人-』

*デジタル版(PDF版)は、コチラから無料でダウンロードできます。

大倉山記念館リーフレット

関連施設のホームページ:

横浜市・大倉山記念館

公益財団法人・⼤倉精神⽂化研究所

大倉精神文化研究所・附属図書館

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