人が知らないことを知っていることには価値がある
どうせ、もうすぐ死ぬからいいのよ
先日、母が股関節に人工関節を入れる手術をしました。
母は、もう10年以上前から、「足が痛い、痛い」って言いながら、びっこを引いて歩いていたんです。
私と父が「病院に行け」と何度言っても、母は決まって言いました。
「どうせ、もうすぐ死ぬからいいのよ」
団塊世代の母は、今年で76歳。
少し糖尿病はあるものの、それ以外は健康なんです。
だから私は、いつもこう言っていたんです。
「そんなに人は簡単には死ねないよ。車椅子になったら、つらい思いをするのはお母さんなんだから、病院に行きなよ」って。
でも、母はまったく聞く耳を持ちません。
10年以上、そんな不毛なやり取りを繰り返していたんです。
母よ、突然、どうした?!
そんな母が、どういう風の吹き回しか、先日、股関節の手術を受けることにしたんです。
お見舞いに行ったときに、私は母に「なんで急に手術をする気になったの?」って聞いてみました。
すると、母はこう言いました。
「同い年の友達が、人工関節を入れたら、杖なしで歩けるようになって、旅行にも行けるようになったって聞いたのよ。」
友達の話を聞いて、母も「自分も手術すれば歩けるようになる」とわかったんですね。
香川のうどんが食べたい
以前の母は、どこか厭世的なところがあって、「私は、もうすぐ死ぬからいい」が口グセだったんです。
不自由な足は、一生、良くならないと、あきらめていたのでしょう。
でも、友達の「体験談」が母の”希望の光”になったんです。
「私も、また歩けるようになる」って。
お見舞いに行ったときに、私は母に小豆島のそうめんを持っていきました。
この前、奥さんと、岡山・香川に旅行に行ったんです。
魚やうどんが美味しかった話をすると、母はこう言いました。
「私も、香川に旅行してうどんが食べたい」って。
えー!?、あんた、「もうすぐ死ぬから、私は、旅行はいい」って、言ってたやん!(笑)
母はそれだけじゃなく、「歩けるようになったら長野の実家にも行きたい」「熱海の友達にも会いに行きたい」って、あそこも行きたい、ここも行きたいって言い始めたんです。
あー、なんだ、お母さん、本当は、旅行に行きたかったんじゃん。
でも、自分の足はもう一生、良くならないって信じていたから、あきらめていたんだね。
でも、「人工関節を入れれば、歩けるようになる」って、友達から聞いて、母の認識は一変したんです。
その瞬間、母は、未来に希望をもてるようになったんです。
人が知らないことを、知っていることには価値がある
そんな母を見て、私は恩師のデニース先生の言葉を思い出しました。
「人が知らないことを、知っていることには価値がある」
母に限らず「この問題は、一生、解決できないだろう」って、あきらめて生きている人って、少なくないと思うんです。
でも、それって本当は、
解決策があることを知らないだけ
なんですよ。
例えば、難治性の小児てんかんも、治療法がないと思われていたけれど、CBD(カンナビオール)がその症状を劇的に改善する可能性があることがわかりました。
でも、多くの人がその事実を知らないために、あきらめているんです。
もう、あきらめなくていい
母の変化を見て、私はハタと、気づきました。
私の仕事の一つは
人が知らないことを教えること
なんだって。
私自身、若い頃は親との関係に悩み、無価値感や劣等感の塊でした。
ずっと彼女ができないことがコンプレックスでした。
難病の乾癬やリウマチにも苦しみました。
ミッドライフクライシス(中年の危機)も経験しました。
他人への嫉妬心にも苦しみました。
以前の私は、「この問題は一生解決しない」とあきらめて生きていたんです。
でも、そんなとき、私の人生に、智慧・叡智を授けてくれるメンターたちが現れました。
彼らは私に、解決策を示すことで、こう教えてくれたんです。
もう、あきらめなくていい
母の友達が母にしてくれたこと、メンターたちが私にしてくれたことを、私も同じようにやっていこうと思います。