「独りあること」と「孤独であること」ハートの内側の愛で自分を満たす方法
今週は、「独りあること」について、私見たっぷりにお話したいと思います。
孤独であること
インドの覚者で精神的指導者のOSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)は、「孤独であること」(Loneliness)と、「独りあること」(Aloneness)は、まったく違うと言っています。
孤独な人(Loneliness)は、自分の内側の欠乏を埋めるために、外側の誰かを必要としています。
他者からの愛情や承認、評価や賞賛、他者とのつながりを、外側から得ることで、自分の内側の、”満たされない何か”を、埋めようとしている。
もっと、美しくなろうとする人も、SNSのフォロワーや再生数を増やそうとする人も
タワマンの上層階に住んでいる人も、レクサスに乗っている人も、仕事やビジネスで成功しようとする人も、みんな同じです。
世の中の大半の人たちが、”自分を満たすために、他人を必要としている”んです。
そうした人たちは、意識の矢印が、自分の外側に向いている状態です。
つまり、孤独な人は、”自分の外側を重要視している”んです。
独りあること
けれど、独りある人(Aloneness)は、自分の内側を満たすために、外側の誰かを必要としません。
自分の内側を深く見つめ、あるがままの自分を受け入れて、愛することができる。
自分自身の価値を自分で認めることも、自分自身と深くつながることもできる。
そうした人たちは、意識の矢印が、自分の内側に向いている状態です。
つまり、独りある人は、”自分の内側を重要視している”んです。
「愛」は「内側」にある
私たちの、内側には、ハートが存在していて、そこから「ほんとうの自分」(Truth Self=SOUL=魂)へと、つながっています。
ハートは、「魂」(SOUL)への玄関、入り口であるということです。
私たちの本質である「魂」は、「無条件の愛」であると、よく言われます。
英語で「無条件の愛」は、「State Of Unconditional Love」ですが単語の頭文字を並べると、「SOUL」(魂)になります。
つまり、”私たちの本質である、魂は、愛である”と、いうことです。
愛である「ほんとうの自分」(=魂)に至る入り口は、私たちの内側にしか存在しません。
そう、愛は、私たちの内側のハートの中でしか、見つけることはできないんです。
だから、どんなに、外側に愛を求めたとしても決して、見つからないんです。
そのことは、既に、”チルチルとミチル”が、確認済みです。
あ、そうそう、うちの奥さんのセラピストの屋号は、「Heart Of Love」ですが、これは、「愛は、ハートの中にある」っていう意味なんです。(たぶん)
愛の源泉
独りある人(=自分の内側と向き合う人)は、ハートの、奥にある愛の源泉(=ほんとうの自分)と、つながっています。
そういう人は、内側が愛で満ち満ちていて、外側にまで、溢れ出しています。
まるで、内側にある愛が光となって、外側に放射しているかのよう。
ディマティーニ・メソッドで、ブレイクスルーを体験すると、まさにそれが起きるんです。
メソッドで、自分の内側に深く潜っていくと、ある時、”ハートの中の愛の源泉”を、掘り当てます。
すると、温泉が吹き出す、間欠泉みたいに、内側の愛が光となって、外側にすごい勢いで、吹き出してくるんです。
その人の存在から眩いばかりの光が、外側に放射されているのが目に見えてわかる。
それで、その場にいる人たちも、愛と感謝のお裾分けをもらうことができるです。
たとえ、zoom越しであっても、愛の光は、時空を超えて、届くんですよ。
一人の人に愛と感謝のブレイクスルーが起きると波動の伝染(シンクロ)が起きて、そばにいるみんなに、愛と光が注がれる。
私もよく人のブレイクスルーの”お裾分け”をもらって、愛と感謝の涙を流しているんです。
ディマティーニ・メソッドのセミナーでは、ほとんど毎回、それが起きるんですよ。
「内側の愛」で自分を満たす
独りある人(Aloneness)は、孤独(Loneliness)ではありません。
だって、自らの内側にある愛とつながり、溢れ出る愛を他者とわかちあうことができるから。
つまり、”自分の内側に、愛を見出す人は、外側に向かって、愛を放射する人である”ということです。
これは、マスター(覚者)の生き方に、他なりません。
私に最初に、その生き方を見せてくれた先生はアラン・コーエンさんです。
アランの教えのベースに、「インナーホールネス」(Inner Wholeness)という考え方があります。
この言葉は「内なる完全性」と訳されることが多いんですがWholenessは、「欠けたもののない」という意味なので、「私たちの内側では何も欠けていない」と言った方が、わかりやすいでしょう。
アランは、それを、見つける名人なんです。
彼は、ワークや、瞑想で自分の内側と向き合い
[人生に、欠けているものは何もない]
[あるがままで十分である]と、
”既に内側にある愛”で、自分を深く満たしています。
つまり、アランは、「独りあること」(Aloneness)で、「内なる完全性」(Inner Wholeness)を見つける、マスターであるということです。
「アランのそばにいるだけで、癒しが起きる」
彼のセミナーに参加した人たちは、口を揃えて、そう言います。
これは、”アラン・マジック”と呼ばれる現象です。
アランは、内側の愛で自分を満たし、溢れ出す愛で、他者を癒す、”癒されたヒーラー”(healed healer)なんです。
人から愛される人の条件
余談ですが、アランの、ファンには、若い女性がすっごく、多いんです。
身長180センチで横幅もある、でっかいクマみたいな容姿で、しかも、75ぐらいの、おじいちゃんなのに、いまだに、若い女性に、モテモテの現役です。
彼のパートナーのディーさんも、すっごい美人なんですよ。
内側の愛で自分を満たし、人から愛されることを求めなくなると、逆説的に、人からも愛されるようになる。
ある意味これも”アラン・マジック”です 笑
これが、「独りあること」の、本質なんです。
ハートの中の愛を見つける方法
私のもう一人の先生の、Dr.ジョン・ディマティーニも、「人生に欠けているものは何もない」と、まったく同じことを、言っています。
[独りある人は、自分の存在で、全宇宙を満たすことができる]
[あるがままで十分である]
[魂の次元では、欠けているものは何もない]
言葉が違うだけで、OSHOも、アランも、ディマティーニも、本質的には、まったく同じことを言っています。
けれど、そうした深い気づきや洞察を得るためには、何年も、何十年も、瞑想やワークに取り組み続ける必要があります。
実際、アランも、そうした”修行”を、これまでの長い人生(と「過去世」)で、ずっとやってきたから、”あるがままで十分であるの境地”に、辿り着けたんです。
でもまぁ、そんな修行は、誰にでもできるわけではありませんよね。
そこで、ディマティーニ メソッドC面の出番です!
C面は、ハートの内側にある愛を見つけるのにとても効果的な方法論です。
私みたいな普通の人でも、短期間で、アランのようなマスターの境地に至ることが可能なんです。
それは、悟空が神様の神殿で、ミスター・ポポを相手に、修行するみたいな、短期集中トレーニングです。
繰り返しワークに取り組むことによって、
[人生に、欠けているものは何もない]
[あるがままで十分である]
ということが、頭(思考、マインド)ではなく、ハートで腑に落ちて、理解できるようになります。
すると、深く自分とつながれるようになって、源泉から、無限に溢れ出る愛で、自分自身を満たすことができるようになるんです。
内側の愛は、”源泉掛け流しの温泉”のように、尽きることがありません。
外側の誰かから手に入れようとする愛は、有限だけれど、自分の内側の愛は”フリーエネルギー”のように、無限です。
そことつながれば、他人からもらう愛なんて、1ミリも、必要ありません。
「自らの光となりなさい」
ーゴータマ・ブッダ
今日のお話は、先週、開催したディマティーニ・メソッドC面セミナーで、自分の内側と深く向き合い、愛を見出した、参加者の皆さんに、インスピレーションを受けて書きました。
飛田貴生