「ディマティーニメソッド」ブレイクスルー・エクスペリエンス体験記

ブレイクスルー・エクスペリエンス

今から10年前、私はブレイクスルー・エクスペリエンス(BTE)というセミナーに参加していました。

BTEは、ディマティーニメソッドを実践し、「愛と感謝の境地」(ブレイクスルー)を体験するセミナーで、このときが、日本で初めての開催でした。

講師はディマティーニさんの一番弟子の、デニース・ナドラー先生。

参加者は、20人で、受講料は54万円です。

実は私、このセミナーで、ディマティーニメソッドが、ダントツにできず、「いちばんの落ちこぼれ」だったんです。

どのぐらい、できなかったかというと、講師のデニース先生を大激怒させるぐらい (苦笑

そのときのセミナーは、デニース先生が、英語でメソッドのやり方を説明して、通訳が日本語に訳すという流れだったのですが、説明のペースが早い上に、ワークのやり方が複雑すぎて、理解力の無い私は、まったく、ついていけなかったのです・・・。

おまけに、気の小さい私には、わからないところを質問する勇気もなく、どんどん他の参加者に置いていかれてしまったのです・・・。

ブレイクスルー失敗

セミナーの時間が半分以上、経過した頃。

講師のデニース先生は、私がまったくワークできていないことに気がつきました。

そして、猛烈な勢いで、怒りだしたのです。

「ねぇ、ちょっとあなた何してるの!

全然できてないじゃないの!

周りの人、見てみなさいよ。

みんなちゃんと、できてるじゃない。

なんで、あなただけできてないの?

自分が他の人より、全然できていないのわかってるの?

私の話、ちゃんと聞いてた?

この列のやり方を言ってみなさい。

(まったく答えらなくて、黙ってしまう私・・・)

わからないなら、なんで質問しないの!

もう、はじまってから、半分以上、過ぎてるじゃない。

なんで、あなたは質問しないのよ!(怒

云々かんぬん・・・。

こんな感じで、それはもう、すごい勢いで怒られました。

セミナー中に、こんなにも講師に説教されることって、まずないですよね(苦笑

で、私、こっぴどく怒られて撃沈してしまい、半泣き状態で、しばらく、しょんぼりしていました(泣

でも、大金を払って参加しているので、ワークをあきらめるわけにもいかず、私、ここから本気になりました。

しかし、時すでに遅し。懸命の追い上げも届かずタイムオーバー。

朝の4時までやっても、「愛と感謝の境地」にたどり着くことは、できなかったんです・・・。

午後1時からスタートして、15時間もワークしたのに。

トホホ。

反骨のブレイクスルー

54万円も払ってるのに、ブレイクスルーできないなんて、そんなの、ありえないと思いました。

私はもう、

悔しくて、

悔しくて、

悔しくて、

悔しくて、

どうしようも、ありませんでした。

このとき私の中の「コウメ太夫」が叫びました。

「チクショー!!」

それで私、帰ってから、家で缶詰になって、ディマティーニ・メソッドを、自分一人で、やって、やって、やりまくりました。

メソッドは、一度、やり方を覚えれば、セルフワークで、何度でも、ブレイクスルーを体験できるんです。

と言っても、私は、「他の人よりダントツに、ワークができない、落ちこぼれ」だったので、ものすごーく、苦労しましたが・・・。

でも、セミナーでの屈辱を晴らそう、払ったお金の元を取ろうと、必死でした。

それで、2ヶ月ぐらい家で、集中的に、メソッドに取り組んだんです。

そうしたら、なんと! ブレイクスルーが起きたのですよ!!

それも、一度や二度でなく、何度も何度も。

内側が変わると外側が変わる

セミナーでは、たどり着けなかった、「愛と感謝の境地」を、何度も、体験することができたんです。

そうしたら、会う人、会う人に、

「なんか、雰囲気変わったね」

「表情が明るくなったよ」

「存在感が出てきなね」

「なんか若返ってない?」

「前よりも、自信を持ってる風に見えるよ」

と言われるようになったんです。

そして、ものの見方・考え方が変わって、「私の内側」が変わったら、目に見えて「外側の現実」も、変わっていったんです。

私たちが普段、目にし、体験している”外側の世界”というのは、”自分の内側の世界”の投影である。

内側の世界が、変わったら、投影である外側の世界も、変わらざるをえない。

これは、デニース先生が教えてくれたことですが、これ、本当だったんです。

コントロールしてくる母に感謝できるようになったら、コントロールがなくなったり、「自分は価値ある存在なんだ」とわかったら、

人から大切にされるようになったり、「彼女がいなくても、今で、もう十分なんだ」とわかったら、美人の彼女ができたり・・・。(今の奥さんですが 笑)

そういう変化が、どんどん起きてきたんです。

それで、内側が変わると、外側が変わるんだ!と、わかって、ディマティーニ・メソッドするのが面白くなりました。

10年後の自分

それで、そのあとも、ずっと、ワークをやり続けたんです。

あれから10年。

これまでに取り組んだメソッドのワークシートは、電話帳よりも、分厚くなりました。

朝の4時までやっても、ブレイクスルーできず、「いちばんの落ちこぼれ」だった私は、気がついたら、メソッドを自由自在に使いこなし、自分ひとりでいつでも、ブレイクスルーできるようになっていました。

それで、デニース先生に、とても褒められるようになりました。

今では、私は、どうもデニース先生のお気に入りの生徒みたいです。

あんなに怒ったくせに(笑

もし、あのセミナーで、私が、誰よりもワークができる「ウサギ」だったら、それで満足して、その後ワークを続けることは、なかったでしょう。

もし、そうなっていたら、体験できるブレイクスルーはたった1回だけ。

メソッドをマスターすることもなく、結果的に今ほどの変化は体験できなかったでしょう。

けれど、私は、「のろまなカメ」だったんです。

だから、ずっと歩き続けることができて、気がついたら、すごく、遠いところまで、くることができたんです。

のろまなカメは、いつか、必ず、すばしっこいウサギに勝つ。

だから、落ちこぼれでいいし、のろまなカメでいいんですね。

飛田貴生

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