不幸と思えることが幸福を呼ぶかもしれないよ

ハワイ・マウイ島ハレアカラ山頂 夜と朝の境界線

人間万事塞翁が馬

昔むかし、中国でのお話です。

お城の近くに、占いの上手なおじいさんが住んでいました。

ある日のこと。

おじいさんが大切に飼っていた馬が、敵の領地に逃げていってしまいます。

近くに住む村人たちは、おじいさんのことを気の毒に思いなぐさめにいきました。

すると、おじいさんは、こう言いました。

「このことが、幸福を呼ぶかもしれないよ」

数ヶ月後のことです。

逃げた馬が、何頭もの足の速い名馬をつれて帰ってきました。

近所の人たちは「なんて幸運なことだろう!」と、おじいさんをお祝いしにいきました。

すると、おじいさんは、こう言いました。

「このことが不幸を呼ぶかもしれないよ」

おじいさんさんの息子は、乗馬が好きでした。

あるとき、馬から落ちて、足の骨を折ってしまいます。

それを知った村人たちは、「なんて、かわいそうに!」と、おじいさんにお見舞いにいきました。

するとおじいさんは、こう言いました。

「このことが、幸福を呼ぶかもしれないよ」

それから1年後のことです。

敵の大群がお城に攻めてきました。

体が丈夫な若者たちは、武器を手にとって戦いました。

そして、ほとんどの若者が死んでしまったのです。

けれど、おじいさんの息子は、足が不自由だったために戦いに行かずにすみ、命が助かったのです。

中国の古い時代の思想・哲学の本「淮南子(えなんじ)」人間訓 塞翁が馬 より

人生最悪の出来事

今から、20年近く前、私が、30歳のときのことです。

私のところに、「病気」と「失業」と「失恋」が、一度にふりかかってきました。

全身に強い痛みを感じるように、徐々に、その痛みは、たえられないもに、なっていきました。

病院行き、医師から診断された病名は、「関節リウマチ」。

医師は私に、「このままだと、将来は車イスの生活になるかもしれない」と言いました。

関節リウマチは、手や足の指、膝、首など、関節の骨が破壊されてて、変形していく病気です。

治療が難しく、治りにくいことから、厚生労働省が難病(特定疾患)に指定しています。

私の病状は、医師が予言したとおり、日増しに、進んでいきました。

関節の骨が破壊されて、指が大きく曲がり、自分で爪を切ることも、ペットボトルを開けることもできなくなっていったのです。

痛みがひどいときには、ベッドから起き上がることも一苦労で、たった3メートル先のトレイに行くのに、1時間以上かかったこともあります。

そして、病気が発覚してから、数年で、「身体障がい者」になってしまったのです。

ことのき、私は、会社員として働いていたのですが、不自由な体のために、仕事を続けることが難しくなり、会社を、辞めるほかありませんでした。

さらに、追い討ちをかけるかのように、今度は、つき合っていた彼女が、「好きな人ができたから、別れてほしい」と言いはじめたのです。

くわしく話を聞いてみると、その男性とは、すでに結婚の約束をしていて、

翌月には引っ越しをすることも決まっているというのです。

彼女とは、7年間交際していました。いずれ二人は、結婚するものだと思っていたのです。

ところが、私の知らないうちに、別の男性と婚約していたのです。

あまりにも、突然の出来事は、私は、頭の中が真っ白になりました。

そして、彼女は、あっさりと、私の前から去っていってしまったのです。

ある日、突然、障がい者になって、仕事を失い、大好きだった彼女も去っていった・・・。

このとき私は、「自分の人生は、完全に終わった」と思いました。

そして、私は、それから何ヶ月もの間、ずっと、泣いていました。

人生最高の贈り物

しかし・・・。

しばらくして、私の心の中から、「ある強い思い」がわき上がってきたのです。

それは、「このままでは終わりたくない、人生を変えたい!」という強い思いでした。

そして、私は、「自分の人生を変えよう」と、強く心に誓いました。

それからというもの、必死で本を読むようになりました。

自己啓発や、心理学、ビジネス、成功法則、スピリチュアルのジャンルの本を、手当りしだいに、何百冊も読んでいったのです。

そして、体が不自由でも、家でパソコン一台でできるビジネスをはじめました。

稼いだお金は、すべて自己投資につぎ込み、高額なセミナーやプログラムに参加して、人生を変えるための取り組みを続けたのです。

あるセミナーに参加したときのことです。

それは、人間行動学の世界的権威、Dr.ジョン・ディマティーニのセミナーでした。

そして、Dr.ディマティーニが開発した「ディマティーニ・メソッド」と呼ばれるワークを、Dr.ディマティーニ本人から直接、受けたのです。

すると、ずっと長い間、苦しんでいたリウマチの痛みが、たった15分ほどのワークによって、消えてなくなってしまったのです。

何年も、病院に通い続けても、悪化するばかりで、まったく良くならなかったというのに。

信じられないような奇跡的な体験でした。

リウマチの痛みが癒された体験をきっかけに、私は、ディマティーニ・メソッドをつかって、「自分自身と内面と向き合い、自分を癒すこと」をはじめたのです。

すると、私の人生に、目に見えて大きな変化があらわれてきたのです。

人が苦手で、まともにコミュニケーションできなかった私が、セミナーを開き、大勢の人の前で、話をするようになりました。

そして、東京、横浜、名古屋、京都、大阪、福岡で、100回以上のセミナーを行うことができたのです。

対人恐怖症だった私が、人前で話をする仕事をすることになるなんて、天地がひっくり返っても、あり得ないと思っていました。

けれど、今では、一度しゃべりだすと止まらなくなり、いつも、ついつい、セミナーの終了時間をオーバしてしまいます。

ディマティーニ・メソッドを使い、自分の内側と向き合う取り組みを続けているうちに、人の癒しに貢献する、心理カウンセラーの仕事こそが、私が心からやりたいこと、大好きなことだとわかったのです。

また、前項でもお話しましたが、10年以上悩み続けていた、母親との苦しい関係も解消することができました。

母との関係は、何をやってもけっして解決することはないだろうとあきらめていたのにです。

さらに、「自分をいやす」を続けているうちに、いつの間にか自分に自信を持てるようになっていました。

自分の悪いところ、ダメなところも、受け入れられるようになり、

「ありのままの自分にOK」を出せるようになったのです。

以前は、まったく自分に自信を持てず、自己否定や罪悪感に苦しんでいたのですが、

そういった心の重荷から解放され、どんどん軽くなっていったのです。

自分を癒すことで得られた、いちばん大きな変化は、妻の由起子と出会えたことです。

実は、由起子は、以前、かなり重度のアトピー性皮膚炎をわずらっていました。

けれど、あるセミナーに参加して、父親との関係をいやしたことがきっかけで、アトピーの症状が改善したといいます。

妻は、セミナーに参加することで病気が改善するという、私とまったく同じ経験をしていたのです。

この「偶然の一致」がきっかけとなり、私たちの交際ははじまったのです。

10年前、病気と失業と失恋が一度にふりかかってきて、「人生が終わった」と思いました。

けれど、本当は、あのときが、「人生のはじまり」だったのです。

「危機」に立ち向かえば「ギフト」になる

あのときもし、強い絶望を感じなかったら、

私は自分の人生を変えようとは決して思わなかったでしょう。

そして、自分を変えようとしなかったら、今、持っている大切なもののほとんどが得られていないのです。

「病気」は、私に、自分自身と他者を「いやす力」を与えました。
「失業」は、私に、「心からやりたい仕事」を与えました。
「失恋」は、私に、「運命の人との出会い」を与えました。

20年前、私は、自分に起きたことを、「人生最悪の出来事」だと思いました。

けれど、本当は、あの出来事は、「人生最高の贈り物」だったのです。

「人生の困難に立ち向かうとき、人生でいちばんの贈り物が得られる」
ー私の恩師、デニース・ナドラー先生の言葉

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