「充実した人生の条件」幸せと不幸の両方を体験する
魚沼産と無料のライス
我が家には、毎年、新潟の叔母から 新米のコシヒカリが大量に送られてきます。
叔母の家は、最高級ブランド米の産地として知られる、魚沼地区。
しかし、私は毎日、そんな最高級のお米を食べながら、そのおいしさを味わうことも、いいお米を食べられることへの感謝の気持ちも持っていませんでした。
それどころか、マヨネーズと醤油を ご飯にたっぷりかけて、グシャグシャに混ぜて食べるという、バチあたりなことを繰り返していました。
いつのまにか、おいしいお米を食べることが、 ”当たり前”になってしまいっていたのです。
しかし・・・
先日、ラーメン屋さんに行ったときのこと。
無料のライスがサービスでついてきました。
お腹がすいていたので、 ラッキーと思い、ありがたく頂くことに。
ところが、このライス、ちょっと臭うのです。
プラスチック臭がするというか・・・。
きっと、古米だったのでしょう。
しかも、あまりいいお米ではなかったのではないかと思います。
とにかくおいしくないのです。
無料だから、文句は言えないのですが・・・。
しかし、このまずいライスを食べたおかげで、ふだん家で食べているお米がどれだけおいしいお米であったのかに 気がつくことができました。
それ以来、お米の味をしっかりと味わって、叔母さんに感謝しながらいただくようになったのです。
今でもたまに、マヨネーズでグジャグジャしてしまうこともありますが・・・。
極貧と富豪
また、友人が先日、興味深いことを教えてくれました。
彼は、最近、1日1食しか食べないそうなのですが、その理由は、”感謝の気持ち”をより感じるためだといいます。
1日1食しかご飯を口にしないので、食事のときに、食べられることへの感謝の気持ちが湧いてくると言っていました。
また、以前に私の先生のディマティーニさんが こんなことを言っていました。
彼は、10代の頃にホームレス生活を体験しています。
お腹がすいて仕方のないときは、ドライブインに忍び込んで、他の客の食べ残しを盗み食いしていたそうです。
このときは、本当に惨めな気持ちになったと言っていました。
けれど、その後、彼は、大富豪になりました。
今、世界中に11個も家を持っています。
そして、この極貧(ホームレス)と富豪(無駄にたくさん家がある)の ”両方を体験するという祝福” を与えられたと話していました。
ところで、この記事は、我が家のお米が魚沼産であることを、自慢するために書いているわけではありません 笑
まずいライスを食べたことで、わかったことがあります。
両方ないと感謝できない
それは、人は、比較するものがないと、その価値やありがたさを感じることができないのだということです。
”まずいもの”があるから、”おいしいもの”をありがたいと思える。
”食べられない”からこそ、”食べられる”ときに感謝できる。
”貧しさ”の体験があるから、”豊かさ”をありがたいと思える。
”不幸”を知っているから、”幸せ”がわかる。
”病気”になったから、”健康”って大切と思える・・・。
面白いことに、人の状況や、特性、行動を表す言葉にはすべて、 反対語(対義語)が存在します。
善と悪
生と死
平和と戦争
安心と不安
受容と拒絶
成功と失敗
与えると奪う
本当と嘘
などなど。
そして、これらは、どちらか片方だけでは成り立たず、 決して切り離せないもの。
つまり、これらは、”2つで1つ”になっているということです。
水戸黄門のお話が、越後屋と悪代官(悪役)がいてはじめて成立するように・・・。
充実した人生の条件
もしかしたら、あなたは、 今、”おいしくない状況”を体験しているところかもしれません。
もし、そうだとしたら、その状況を言葉で表してみてください。
お金が足りない
パートナーがいない
自分に自信がない
やりたいことがわからない
不自由
など。
そして、その反対語も書き出してみてください。
十分なお金がある
パートナーがいる
自分に自信がある
やりたいことがわかる
自由
など。
それらは、2つでセットです。
今の状況は、反対のものを、今この瞬間に見いだしたり、 これから手に入れたときに、ありがたいと感じるために起こっています。
ノドがカラカラに乾いているから、ビールはうまい。
欠乏している状況というのは、満たされたときに、 その状況を、しっかりと味わい、感謝するためのスパイスなのです。
そして、 ”正反対の2つのものを、両方とも体験すること” が、本当の意味での”充足”なのです。
いつもお読みいただきありがとうございます。
飛田 貴生