デキるリーダーはバカなふりをしろ 逆説のリーダーシップ論

仕事のプレッシャー

今週は「自由と責任」について、私見たっぷりに
お話ししたいと思います。

この前の「春分の日」のことです。

この日は、私が主催する
ディマティーニ・メソッド1日集中セミナー
でした。

私、朝5時にハッと目が覚めたんです。

で、
不安と焦りの感情がドバッと溢れてきました。

「今日はセミナーの日だ、どうしよう」

「ちゃんとセミナーできるだろうか」

「時間内に全員のワークを
やり終えられるだろうか」って。

不安でいっぱいになって、
心臓の動悸が止まりません。

きっとこのとき、
私の脳内では、恐れや不安を司る「扁桃体」が
ストレスホルモンのコルチゾールの大量分泌
によって、過剰に活性化していたことでしょう。

ちなみに、こうした現象を、
「扁桃体ハイジャック」と言います。

で、結局、それから一睡もできませんでした。

このとき、どうして、こんなに不安になるのか
さっぱり意味がわかりませんでした。

だって、私、
ディマティーニ・メソッドのセミナーは
15年もやっているし今回で105回目なんです。

今まで、散々、やってきたのに、何を今さら
って感じです。

責任感が強いことのデメリット

セミナーが始まり、参加者のワークのサポート
をしていたときのこと。

参加者のKさんは、お父さんの「責任感が強い」
という、特性、行動のデメリットを
見つけようとしていました。

ディマティーニ・メソッドでは、
嫌いな人や好きな人の中からワークの対象者を
一人選んでその人の好きな特性・行動と、
嫌いな特性・行動を、明確にします。

で、その人の好きな特性・行動のデメリットと
嫌いな特性・行動のメリットを見つけていきます。

そうすると、
他者(と自分)の特性・行動に対する認識
(ものの見方・捉え方)をバランスさせ、
物事をニュートラル(中立、中庸)に
見られるようになるんです。

Kさんは、
あるプロジェクトでリーダーをしたときに
自分が責任感が強かったことで
周りのスタッフに具体的にどんなデメリットが
あったか? どんどん見つけていきました。

スタッフたちは、優秀で仕事ができて、
頼めばなんでも引き受けてくれる
プロジェクトリーダーのKさんに
何かあるとすぐに、頼るようになりました。

やがて、
Kさんに任せておけば大丈夫だろうと
みんな彼に、甘えるようになりました。

スタッフたちは、
周りの人たちの都合を考えることも
他者と協調することもせずに、自分の都合で
好き勝手に振る舞うようになりました。

つまり、
リーダーのKさんが責任感が強かったせいで、
周りの人たちは、無責任になってしまっていた
のです。

で、責任感が強いリーダーであるKさんは
スタッフたちのわがまま、身勝手を丸く治める
調整役をせざるを得なくなりました。

仕事の大半は、そういう人間関係のしがらみを
処理することに費やすことになって
自分のエネルギーが奪われていったのです。

そうやって、自分勝手なスタッフたちの
取りまとめをするうちに、Kさんは、
精神的に疲れ果ててしまいました。

Kさんは、ワークをするまで、
責任感が強いことは、良いことであると、
信じて疑いませんでした。

けれど、ディマティーニ・メソッドで、
責任感が強いことの他人と自分のデメリットを
どんどん見ていったことで、それが必ずしも、
良いこととは、思えなくなったのです。

なぜ依存的な人を引き寄せるのか?

私、Kさんのワークのサポートをしていて
「この話は、どこかで聞いたことがあるぞ」
と思いました。

で、気がついたんです。

これは、まったく他人事ではなく、
私自身の話だということに。

私には、
セミナーや個人セッションをしているときに
クライアントの人生の責任を背負い込んで
しまうところがあります。

つい親身になりすぎて、手取り足取り
ワークのサポートをしようとしてしまう。

クライアントが、ワークに詰まると、
「例えば、こんなメリットや、あんなメリットが
ありませんか?」と、相手と一緒に答えを考えて
あげることをよくします。

すると、
クライアントは、ワークに慣れていて親身に
手助けしてくれる私に頼るようになるんですよ。

で、飛田に任せておけば大丈夫だろうって
私に甘えて、人任せにするようになります。

すると、
クライアントは自分の頭で考えなくなっちゃう。

私が、必死に頭を働かせて
「こんなメリットない?」
「こんなメリットない?」って、
過剰にワークのサポートをすればするほど、
クライアントは”自分の頭で考えるという責任”
を果たさなくなってしまう。

するとどうなるのか。

ドロ沼にハマってスタックします。

ワークがまったく進まなくなって
同じところを、ずっと、グルグルしてしまう。

でも、そりゃそうなりますよ、
だって、ワークしている本人が、
自分の頭で考えないのだから。

いかにディマティーニ・メソッドが
優れたツールであったとしても、
本人が、自分でやらなければ、
気づきや変容が、起こるはずありません。

で、この”ドロ沼モード”が発動してしまうと
ファシリテーターの私は、猛烈に消耗します。

思いっきりアクセル全開で踏み込んでいるのに
1ミリも前に進まないから、エネルギーだけが
どんどん吸い取られてしまうんです。

クライアントの感情的な重荷
(エモーショナル・チャージ、ペインボディ)
をもらってしまって、すっごい頭が痛くなって
くることもよくあります。

こうしたドロ沼モードがセミナーで発動すると
相当にマズイ。

私が一人のクライアントにハマってしまうと
セミナー全体の進行が止まってしまうから。

そうなったら、自分の頭で考える意志のある
(=自分の人生に責任を持つ覚悟がある)
他の参加者の、ワークも止まってしまう。

で、時間内に、ディマティーニ・メソッドが
終わらなくなってしまう可能性があるんです。

で、私、気がつきました。

朝の5時にハッと目が覚めて、
不安になった理由に。

自分の頭で考えず、自分の人生に責任を
持たないクライアントの面倒を見て、
ドロ沼にハマるいつものパターンが、
この日も、発動することを、無意識に
恐れていたのだって。

でも、
私、もう一つ、大切なことに、気づきました。

自分の頭で考えない、自分の人生に責任を
持たないクライアントを作り出していたのは、
自分自身だということに。

本来なら、
クライアントが自分で考えるべきことを、
私が考えてしまうことが、そもそもの問題
なのです。

私が、クライアントの人生の責任を
背負い込んで彼らの代わりに答えを考えるから
相手は、自分の人生の責任を人任せにして
自分で考えなくなっていたのです。

デキるリーダーはバカなふりをする

じゃあ、どうしたらいいのか?

答えは、とってもシンプルです

私が、他人の人生を背負い込むことを
しなければいい。

つまり、無責任になればいいのです。

そうなったら、
もう、クライアントは、私に頼ることができず
自分でやるしかなくなるんです。

つまり、
私が他人の人生の責任を背負うのを止めれば
相手は自分の人生の責任を持つようになる
ということです。

そんな気づきを、私、
この日のセミナーの参加者に話しました。

すると参加者のKさんが、以前に彼の師匠から
聞いた”リーダーの心得”を、教えてくれたんです。

それはこんな教えでした。

リーダーは、周りの人から、
「この人は、仕事ができる人だ、優秀な人だ」
なんて、思わせてはいけない。

もし、そんな風に、優秀な人だと思わせたら
周りの人たちはリーダーに甘え頼るようになる。

そうなったら、彼らは自分の頭で考えることも
自分の仕事に責任を持つこともしなくなって
しまうだろう。

だから、
リーダーは、バカなふりをしないといけない。

「こいつはバカだ。こんなバカなリーダーに
任せておいたら、大変なことになるぞ。」と、
周りの人たちに、思わせないといけない。

そうすれば、彼らは、自発的に、
自分の頭で考えて、自らの仕事の責任を
果たすようになるだろう。

うーん、実に、”深イイ話”です。

逆説のリーダーシップ

この話を聞いて、私の個人セッションの
クライアントのTさんのことを思い出しました。

Tさんは、ある会社の営業マネージャーです。

人一倍、責任感が強く、仕事ができる彼は
とんとん拍子に出世し、大きな支店の
支店長を任されることになりました。

けれど、個人セッションに来たときには、

「新しい支店で、なんとしても、
結果を出さなければならない、
売り上げを上げなければならない」

という、プレッシャーのために、
憂うつな気分や不安感が強くなる「適応障害」
のような傾向が出始めていたんです。

それで、心療内科で処方された
「抗不安薬」を飲み始めていました。

なので、Tさんの不安や焦りを解消するために
ディマティーニ・メソッドに取り組むことに
しました。

具体的には、

”新しい支店で売上を上げて、
結果を出すことのデメリット”

をどんどん見つけていきました。

Tさんは、売上を上げたら、
自分にたくさんメリットがあると、
信じて疑わないから、その正反対の結果に
なることを、恐れていたんです。

だから、
もし、売上を上げたら、自分にどんな
デメリットがあるかを見つけることができれば
その正反対の結果になることへの恐れを
解消することができます。

そんなわけで、

”新しい支店で売上を上げて、
結果を出すことのデメリット”

を見つけていきました。

すると、もし、売上を上げたら、
さらに出世して、今とは比較にならないほどの
責任とプレッシャーを背負い込むことになる
ことに気づきました。

営業会社なのだから、結果を出せば、
出世するのは、当然です。

また、出世すれば、より責任が大きくなるのも
当然です。

彼のすぐ上の上司のエリアマネージャーの、
飲酒量は尋常じゃないんですって。

「ストレスや不安を解消するという点で、
アルコールに匹敵する物質はない」
と言われるほど、お酒の「抗ストレス効果」
「抗不安効果」は、絶大です。

上司の飲酒量が、そのストレスの大きさを、
暗に示している。

つまり、新しい支店で、売上を上げても、
Tさんが今、抱えている不安や焦りは、
まったく、解消しないということ。

それどころか、
もっと大きな不安と焦りを抱え込むことになる。

もし、そうなったら、人一倍、責任感の強い
Tさんのメンタルは、もちません。

メソッドに取り組んだことで、
責任感が強すぎて、一人で抱え込んでしまう
ことが、Tさんの苦しみを作っていたんだと、
わかりまた。

なので、Tさんに
「部下に弱音を吐いてみてはどうか?」
と提案してみました。

「実は、売上が立たなくて、今、精神的に
すごく参ってるんだ。
みんな、力を貸してくれないか。」
って。

一人で責任を背負い込むのをやめて、
部下にまかせることで、部下と会社に具体的に
どんなメリットがあるか?
ディマティーニ・メソッドで見ていきました。

Tさんが、何もしなくなれば、
部下たちは、より主体的になって、
自分の頭で考え、仕事するしかありません。

そうなったら、
頼りにならない上司の代わりにリーダーシップ
を発揮する人材が現れるでしょう。

どうしたら、もっと売上を上げられるか、
みんなで話し合う機会も生まれるでしょう。

互いに連携して仕事をすることを学び、
チームとして結束することができるでしょう。

そうやって、
頼りになる人材と組織が育つことは
会社にとっても大きなメリットです。

で、Tさんは、気がつきました。

”自分が頼りにならない上司になれば、
部下が頼りになる人材に育つ”
というパラドックス(逆説)に。

で、「明日から、会社で何もしないで、
部下にまかせましょう」ということに
なりました。

その日の個人セッションはそれでおしまい。

それから数ヶ月経ったある日のこと。

Tさんから、メールが届きました。

==========================
(前略)
実は仕事上の話ですが、
新店舗に移って2ヶ月目の11月度の成績が
全店(82店舗中)で1位、成長率も1位と
なってしまいました↓↓。

教えて頂いた『なにもやらない、まかせる』が
効果を発し、支店のメンバーが勝手に話合い、
どんどん伸ばし実力を発揮してくれました。

これ以上もういいよと思えば思うほど
・・・(汗)。

ただ以前ほど変な高揚感はありません。

売り上げを伸ばすデメリットも
知ってしまったので・・・。

常に裏側も意識しながら、平穏な心を
育てていけるようトレーニングしていきます。
(後略)
==========================

ああそうか、責任感が強いのは、
ある意味、すごく無責任なことなんですね。

だって、誰の人生の責任も本人のものなのに、
それを他人が背負い込んでしまったら、
その人から人生の主導権(=自己責任)を
奪ってしまうことになるから。

私は、今までクライアントの人生を
背負い込むことで、相手を助けてあげなくては
いけない弱い存在にし、相手から、
本来のパワーを奪っていたんです。

人任せなクライアントを生み出していた
(引き寄せていた)、そもそもの原因は、
私にあったんです。

Tさんには、
偉そうにアドバイスをしておいて、私自身が
そのことをまったく理解していなかったんです。

何もしないで任せる

それで私、悔い改めました。

「親身に、ワークのサポートするの、
もう、やーめっぴ」って。

Tさんのように、『なにもやらない、まかせる』
を実践しようって。

そんなわけで私、この日のセミナーでは、
バカッター(バカなファシリテーター)に
なることにしたんです。

気をつけろ!
デキるファシリテーターだって、思われるな。

参加者が、人任せになって、
自分の頭で考えなくなるぞ。

そうなったら、またドロ沼にハマるぞ。

私、そうやって、自分に言い聞かせて、
”バカのふり”をすることにしたんです。

で、
参加者の皆さんにこうアナウンスしました。

「残念なお知らせです。

さっきから、私の脳が麻痺したみたいに
働いてくれません。

もう、前みたいにワークのサポートができません。
私の脳が働かないから、皆さんの脳が頼りです。

どうか、自力で、ワーク頑張ってください」

って 笑

で、自分の頭で考えてくれない参加者は、
ほとんどサポートしませんでした。

あ、でもこれは、意地悪じゃないんです。

自分の人生に責任を
持ってもらいたいだけなんです。

そういう人に、ファシリテートするときは
「メリットは何ですか?」
「メリットは何ですか?」
「メリットは何ですか?」
って、棒読みのセリフのように質問しました。

そんな風に、私がクライアントの人生の
責任を背負い込むのをやめたら、

クライアント自身が自分の人生の責任を
持つようになって自分の頭で考え始めたんです。

そうしたら、自分でワークの答えを
どんどん見つけるようになった。

で、ワークの対象者(いちばん嫌いな人)に
感謝できるようになって「愛と感謝の涙」を
流し始めたんです。

あれほどワークできなくて、
スタックしていたのが嘘みたい。

で、なんと、最終的に、
参加者全員が、ブレイクスルーしたんですよ。

まさに、Tさんの支店のスタッフに
起きたことと同じことが起きたんです!

私、それを見て思ったんです。

誰の中にも、偉大な力が存在しているんだって。

内なる賢人

それで、私のもう一人のメンターの、
アラン・コーエンさんの言葉を思い出しました。

「あなたがクライアントに接するときには
その人の”内なる賢人の姿”を引き出し、

クライアントが”グル”(師、教師)で
あるかのように接すればうまくいくでしょう。

そのクライアントがあなたの元に来るのは
何をすべきかをあなたに教わるためではなく

”その人の中で何をすべきかを知っている部分と
つながるため”なのです。

そして、それはもう備わっています。

ですからあなたの役割とは、
彼らがあなたや他の誰かからではなく、

自分自身の中の知恵を見つけられるように
サポートする、ということです。

あなたがこれを行うとき、
もっとも役立つカタチで、相手をサポートする
ことができるでしょう。」

私、このことがぜんぜん、
わかってなかったんですよ。

目の前のクライアントの中の賢人、完全性を
信頼していないから、相手を助けてあげなくては

いけない、弱くて不完全な存在だと思って、
過剰に、手助けしようとしていた。

でも、そうやって、私が、相手の人生の責任を
背負い込んでしまうから、逆に、その人は、

自分の人生の責任を人任せにして、
自分の中にいる、賢人とつながれなくなっていた。

あー、ダメじゃん、コレ!

けれど、
私が必要以上に、サポートをするのをやめて
相手の人生の責任を本人に戻すようにしたら、

その人は、自分の内側の賢人、完全性と
つながって、本来の力を取り戻すことができた。

きっと、これって、ヒーリング(癒し)の、
奥義、極意でしょう。

私、今回、それ目の当たりにして、
ようやくわかった感じがします。

時には、サポートしないことが、
本当に役立つサポートになるということに。

ある意味はこれは私自身のブレイクスルーです。

人のせいにすると、人に支配される

この記事を書いていて、もう一つ、
気づいたことがあります。

それは、
自分の人生の責任を人任せにする人ほど、

他者から、支配・コントロールされることに、
強い嫌悪感と、怒りを持っているということ。

例えば、そういう人は、幼い頃に、
親から支配・コントロールされたことを、
大人になった後もずっと恨んでいたりまします。

「私は、支配的な親に育てられたせいで、
何も自分の好きなようにできなかった」

「親のせいで、私は、
自分らしい人生を生きられなかった」

と、いうように。

そうやって、
自分の人生がうまくいっていないことを、
親のせいにしている人は、少なくありません。

実際、私の、個人セッションやセミナーに
来る人の中にもそうした人がいます。

実は、私も、30歳の頃に、
「僕がこんなになったのは、

お父さんとお母さんのせいだ」と、
両親に面と向かって言ったことがあるんです。

だから、偉そうなことを、
言えた義理じゃないんですよ(苦笑;

自分の人生がうまくいかないことを親のせいに
したい理由には、2つあるように思います。

一つは、親を悪者にしておけば、
自己否定や、恥、罪悪感を感じなくて済むから。

誰か他の人に怒っているときに、
同時に自分を責めることはできません。

だから、
人のせいにしておけば、自己否定や、
恥、罪悪感をなかったことにできる。

これは、人が自分を守るためによくやる、
無意識の戦略です。

「毒親」という言葉が生まれたのも、
そうした背景があるからじゃないでしょうか。

「私が結婚できないのは
毒親のお母さんのせいだ」

「私の人間関係がうまくいかないのは、
毒親のお母さんのせいだ」

「私が精神的に不安定で
生きづらいのは、毒親のお母さんのせいだ」

と言っておけば、自分の人生の責任を、
なかったことにできてしまう。

ある意味、「毒親」って、
自分を責めないための、魔法の言葉です。

昔、私自身が、
それをしていたんですけどね (苦笑;

自分の人生がうまくいかないことを
親のせいにしたいもう一つの理由は、
ズバリ、親離れしたくないから。

私たちの中には、
相反する二つの欲求があります。

「親から自立して、自分らしく自由な
人生を生きたい」という欲求と、

「大好きな親から離れたくない、
ずっと一緒にいたい」という欲求です。

この二つは、両立できないのですが、
親への「愛着」(離れたくないという思い)は

大人になっても(自立する年齢になっても)、
なくならないのです。

40歳になっても、50歳になっても、
60歳になっても、たとえ、親がもう亡くなって
いたとしても、親を手放したくない。

「お母さんやお父さんのせいで私の人生は…」
と言い続けることで、親離れしないでいる
(=親にしがみついている)のです。

けれど、そんな風に、親離れしない
(=自分の人生の責任を自分で持たない)と

親(=他人)に自分の人生を決められて
しまいます。

自分の人生に責任を持たず、自分で自分のことを
決めなければ、自分の代わりに他の誰かが、
自分のことを決めてしまうということ。

つまり、
自分の人生の責任を人任せにすればするほど
他者から、支配・コントロールされてしまう
のです。

だから、自分の人生に責任を持たない人は、
人からコントロールされたと怒っているんです。

本当は、
コントロールされているじゃなくて、
自分で自分の人生を決めていないだけなのに。

そんな風に、
自分の人生の主導権を他人に明け渡してしまうと
自分の人生を生きている実感を感じられない。

だから、無力感と惨めさでいっぱいになります。

それが苦しくて仕方ないから、
セミナーやセラピーに何年も、何十年も、
通い続けることになる。

でも、自分の人生の責任を持たないから、
何をやっても、変わらない。

なぜって、自分の人生をどうこうする力は、
他人(=セミナー講師やセラピスト、ヒーラー)
にはないからです。

だから、ジプシーのように、
ずっと彷徨い続けることになるんですよ。

実際、そういう人、たくさんいますよね。

あ、なんか気がつけば、
今日の記事は、だいぶ、辛口ですね (苦笑;

でも、これ事実ですから。

2つの自己責任

じゃあ、
そういう人は、どうしたらいいのでしょう?

それは、
「自分の人生の責任は、すべて、私にある」
と、他人のせいにするのをやめること。

そう、親離れして、自立すると、決めることが
大切なんです。

つまり、
「大好きなこと、やりたいことをやって、
自分らしく、自由に生きたいなら、自分の人生に
責任を持つしかない」ということです。

その決断は、本人にしかできません。

これは、もう、セラピストやヒーラー、
セミナー講師が、アンタッチャブル
(触れることができない)な部分なんです。

たとえ、
悟りを開いたマスターやグルであったとしても
その人の代わりに、決断をしてあげることは
できない。

だから、自分で決めるしかないんです。

「自分の人生に責任を持つ」って、
誰にとっても、すごく怖いことかもしれない。

それを引き受けたら、
自分の人生がうまくいかないのは、

自分に責任があることになってしまうし、
親と、心理的に離れないといけないから。

けれど、自己責任のパワーは、絶大です。

私、心理セラピストとして14年以上、
ディマティーニ・メソッドを提供する中で、
たくさんの人たちを見てきましたが、

自分の人生の責任を持つ覚悟を決めている人で、
人生が変わらなった人を見たことがありません。

その一方で、
自分の人生を人任せにしている人で、
人生が変わった人も、見たことがない・・・。

だから、リーダーや、対人支援の仕事の人は、
相手の人生の責任を背負い込んでは
いけないんですね。

それは、
本当の意味で相手のためにならないから。

相手から、自分の人生を切り開く力
(=自己責任)を奪ってはいけない。

だから、リーダーの仕事は、バカのふりや、
無能のふりをして、その人が、自分自身の中の
知恵を見つけられるようにサポートすること。

他人の人生の責任を持たないことで、
相手に、自己責任を教えることができる。

つまり、
片方にとっては、他人のせいにしないことが
自己責任であり、もう片方にとっては、

他人の人生を背負い込まないことが
自己責任であるということ。

そうやって、自分の人生の責任を持つことで、
私たちは、自分らしく、自由に、生きることが
できるんです。

「自由の女神像」と「責任の女神像」

オーストリアの精神科医で、
心理学者の、ヴィクトール・フランクルは、

「自由は全体の一部でしかなく、
真実の半分でしかない。」

「責任を持って生きていなければ、
自由は、ただの自分勝手に退化する」

と言いました。

そして、アメリカ東海岸の「自由の女神像」
(Statue of Liberty)を補完するために、

西海岸に「責任の女神像」
(Statue of Responsibility)を
建設することを提案したのです。

世界的なリーターシップ論の権威で、
『7つの習慣』の著者の、
スティーブン・R・コヴィー博士は、

フランクルの提案に賛同し、生前に、
西海岸に「責任の女神像」を建設する
プロジェクトに積極的に関わっていたそうです。

つまり、
「自由と責任」はコインの裏表であり、
決して切り離すことができないということです。

ディマティーニ風に言えば、

「責任のない自由も、
自由のない責任もありません」

となるでしょう。

奇しくも、このことに私が気づいたのは、

「やりたいこと(人生の目的)を明確にする。
外側の声に従って生きる人生から
内側の声に従って生きる人生へシフトする。 」

という、テーマでセミナーを開催した日でした。

結論。

大好きなこと、やりたいことをやって
自分らしく、自由に生きるためには、
自分の人生に責任を持つことが欠かせません。

本当の意味で人の役に立ちたいなら、
相手が自分自身の中の知恵を見つけられるように
サポートすることです。

そのために、ときにはバカなふりをしたり、
何もしない、相手にまかせることが、
有効なこともあるでしょう。

今回の記事は、
つい他人の人生を背負い込んでしまう私が
自分に言い聞かせるように書きました。

気づきと学びを共同創造してくれた
春分セミナーの参加者の皆さんに、
敬意と感謝を込めて。

「偉大さの代償は責任である。」
ーウィンストン・チャーチル

 

「自分の人生の責任を
持っていないことがそもそもの問題だ」
ーDr.ジョン・ディマティーニ

 

「ヒーリング(癒し)の責任は、100%クライアントにある」
ーアラン・コーエン

すごく長い記事を最後までお読みいただきありがとうございました。

飛田 貴生

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