あなたはありのままで完璧 何も変わる必要がありません
目次
コンプレックスの塊
ここだけの話なのですが・・・
実は以前の私は、コンプレックスのカタマリでした。
全身にひどい皮ふ病があって、体が不自由な障害者で、太りすぎで、友達も彼女もいなくて、大学も出ていないし、働かずに昼間からお酒を飲んで、部屋はゴミ屋敷のように汚くて、親のお金で生活している、自分にまったく自信を持てない、引きこもりのニート。
これが、30才のときの私・・・。
うーん、こうやって、文字にすると、まったく、清々しいぐらいに、ダメな人ですね (苦笑
自分を変えたい
それで私、あるときに、「自分を変えよう!」と一念発起したんです。
健康で、スリムで、かわいい彼女がいて、友達がたくさんいて、すごいスキルや知識を身につけて、年収1000万円稼ぎ、セルフイメージも高い、”今とはまったく違う、素晴らしい自分”になってやろうじゃない!と。
コントロールと願望実現
そのときの私は、自分の人生からネガティブなことを排除して、素晴らしい自分になることが願望実現だって、信じていました。
でも、実はこれ、”人生を自分の思い通りに、コントロールしようとしていただけ”だったんです。
本当の願望実現は、自分らししい自分、つまり、「ほんとうの自分」になることなんですから。
その違いがわからなかった当時の私は、”自分の思い通りの人生に変えよう”と、本気で努力してしまったんです。
人生は苦である
けれど今思うと、これこそが、苦しみのはじまり。
なぜかって、「人生は、苦である」から。
これはお釈迦様の言葉です。
ここでいう”苦”とは、「思い通りにならない」という意味です。
つまり、お釈迦様は、「人生とは、思い通りにならないものだよ」と言っているわけですね。
仏教では、人生には、「4つの苦」(=思い通りにならないこと)が、あると教えています。
生まれてきたこと
老いること
病気になること
死ぬこと
この4つは、すべての人にやってくる、避けようのないこと。
これを「四苦」と言います。
さらに、
愛する人との別れが必ずやって来ること
憎むべき人が人生に現れること
欲しいものが手に入らないこと
体や心が自分の思い通りにならないこと
を加えて、「八苦」。
これを「四苦八苦」(しくはっく)と言います。
なぜ、こういったことが「苦」なのかというと、”思い通りにならないことを、思い通りにしようとするときに、人は、もっとも苦しむ”からなんです
それなのに私ったら、自分の人生を思い通りに変えようと、一念発起しちゃったわけです。
「幸せになろうとする人が、もっとも不幸になる」という、パラドックスになっているとも気づかず・・・。
あなたはありのままで完璧です
でも、そんなときに、ジョン・ディマティーニさんという、おじちゃんに出会いました。
そして、このおじちゃんは、私にこう、言ったんです。
「あなたはありのままで完璧です。
何一つ変わる必要はありません。
そのままで愛される存在なんですよ。」
それを聞いて私、「そんなのウソだ!」って思ったんです。
だって、すごく深刻な病気で、ずっと彼女もいなくて、友達もいなくて、自分に自信がなくて、お金もなくて、家はゴミ屋敷なのに、そのままで完璧だなんて、何をどう考えてたって、そんなのありえないじゃん!
でも、ディマティーニのおじちゃんは、世界中に家を11軒も持っている大富豪で、「ザ・シークレット」っていう大ベストセラーの本にも出ていて、僕の大好きなウィノナ・ライダーとか、ハリウッドスターのヒュー・ジャックマンとか、世界的歌手のサラ・ブライトマンとかを顧客に持っている、なんだか、すごそうな人だったので、彼の言っていることを、”ちょびっとだけ”信じてみることにしたんです。
ありのままの自分を受け入れる
それで、彼が開発したディマティーニ・メソッドを使って、”自分の人生の、思い通りにならないあらゆることを、ありのままに受け入れる”ということを、どんどんやってきました。
そうしたらね、ぜんぶ、本当だったんですよ。
病気でも、ずっと彼女がいなくても、友達もいなくても、自信がなくても、太りすぎでも、家がゴミ屋敷でも、親のお金で生活してても、僕はそのままで、何一つ変わらなくても、愛される存在だったんだ。
自分の人生に起きた一見、最悪に感じる出来事にもすべて意味があって、より高い視点から見ると、ぜんぶ完璧だったんだ。
それが、頭じゃなくて、腑に落ちてわかったんです。
これは、実際に自分で体験しないとわからない感覚なので、言葉ではうまく伝えられないんですが。
ほんとうの自分
それで、自分の人生を思い通りに変えたいというコントロールを手放して、自分もまわりの人も、まったく、変える必要がないと気づいたら、自分の内側に、真空のスペースみたいなものができて、何かとスポーン!ってつながったんです。
その何かっていうのは、自分の本質、つまり、「ほんとうの自分」。
そして、そことつながったら、うまく言葉では言えないのだけれど、自分がこうしたい、こうなりたい、こういうことを実現したいという想いが内側から、ぶわーって、溢れ出してきたんですよ。
ディマティーニさん風にいうなら、”内なる声”ってやつです。
「何が起きたか」ではなく「どう捉えるか」
そしてね、その内なる声に、従って生きはじめたら、人生がどんどん展開していって、気がついたら、以前とは、まったく違う人生、”自分の本質を生きる人生”になっていたんです。
「人生を変える必要がないと気づいたら、ほんとうの自分とつながって、人生がどんどん変わっていった」
まさか、そんなパラドックスだったなんて。
ディマティーニのおじちゃんは言います。
「人生に何が起きたかという問題ではなく、その出来事をどのように捉えるかとう問題なのだ」
人生に起きる出来事を、自分の思い通りにすることなんてできないけれど、その出来事に対する捉え方は、変えることができる。
パートナーがいなくても、病気でも、自分に自信がなくても、いつもお金で困っていても、それを、自分の人生に役立つものとして、
捉え方を変え、受け入れてしまうことはできる。ディマティーニのおじちゃんは、こうも言います。
「私たちに、現実をコントロールする力はない」
これって、お釈迦様が言っていることと同じです。
私たちには、”ただ、ありのままを受け入れることしかできない。”なんか、こう書くと、ちょっとガッカリしちゃう人もいるかもしれません。
でもね、”ありのまま”っていうのは、「ほんとうの自分」が、いちばん望んで、創り出した、完璧な状態なんです。
だから、ありのままを受け入れるた瞬間に、スポーン!って「ほんとうの自分」と、スイッチするですよ。
そうしたら、内側から、溢れ出してくるんです、自分がこの人生で、本当にこれがやりたいって、想いが。
そうしたらね、もう思いっ切りそれに乗っかって流れていくんです。
そこからが、”ほんとうの自分の思い通りの人生”のはじまりなんです。